馬場遼さん、12th Manからスポーツライターへ「自分の名を売るチャンス」


 

馬場さんは「野球太郎」で立命大後輩・東投手のインタビュー記事を担当

12th Manを定期的に読んでいただいている方々にとって、馬場遼さんはなじみの顔であるに違いない。

立命大に進学後、同大学の大学スポーツ紙”立命スポーツ”に入部し、スポーツ記者としてのキャリアをスタートさせた。筆者と初めて出会ったのは彼が3年生の時で、学生記者の中でも独特な雰囲気と負けん気を持った好青年という印象を持った。すぐに「12th Manというスポーツ情報サイトがあるのでそこで記事を書いてみない?」と誘うと、「面白そうですね!ぜひやってみたいです」とすんなり12th Manのスポーツブロガーとしての投稿もスタートさせた。何とも”決断即実行方の行動派のライター”である。

立命大卒業後は、ビルメインテナンス関係のベンチャー企業に就職。スポーツ新聞社などに就職すると思い込んでいた筆者だが、馬場さんは一旦は大学とともにスポーツライターからも卒業。新しいことに挑戦したい彼にとって、また社会に出ての新たなチャレンジの場へと旅立った。会社からも期待をされていた馬場さんだったが、当初予定していた配属先から急遽別の配属先へと変わり、状況は一変。自由な社風が気に入っていた馬場さんにとって、管理の厳しい上司とのそりが合わなかった。いつの間にか会社で働くことが嫌になっていった。

毎日がストレスだった。そもそもが行動派である彼にとって自分の性格とは裏腹に「動きたくない」という逆の気持ちになってしまったのは、相当な重荷になっていたに違いない。「周りの人たちが心配してくれた。本当にありがたかった」。馬場さんが語るように、友人や両親などに悩みを打ち明けて彼らの温かい言葉をもらうことが大きな支えになっていた。

都道府県女子駅伝で選手に取材をする馬場さん(中央)(テレビ画像より)

そんな悶々とした日々が続く中、ふとしたきっかけで再びスポーツライターとしての情熱が戻ってくる。昨年の10月くらいから「仕事がつらかったけど、やっぱり自分はライターになりたいと思った」と馬場さんが振り返るように、昨年秋頃から何気なしにスポーツライターとして生きるための方法をさぐるっために、インターネットを使って情報を探した。「スポーツライターをやっている人はどんな経歴なんだろうかといろいろと探ってみた」と馬場さん。いろいろなページを探していくうちに、たまたま「アシスタント募集」の文字が目に飛び込んできた。

陸上専門誌である「月間陸上競技」でアシスタントの募集があった。馬場さんは迷わず先方にコンタクトし、見事に全国高校駅伝(12月、京都)での関西地区の担当での仕事を得たのだ。「連絡してみると、たまたま関西地区での担当者に空きがあった。私はそこに滑り込むことが出来ました。ほんとラッキーでした」と馬場さんは笑って話す。

実際に取材して、自分の記事が雑誌に載った。そして、月間陸上競技の編集者からの評価もまずまずであった。「大学スポーツ、そして12th Manでいろいろと取材をして、記事を配信してきたことって社会に出ても思ったより通用するものですね」と馬場さん。再びライターとして生きていくことを決断し、今年2月に勤めていた会社を辞めて退路を断ち、スポーツライターとしての看板を背負って生きていくことを決めた。

とはいえ、月間陸上競技で少し記事を書いたくらいでは生活をしていくことは厳しい。そこで会社を辞めた翌月には、自身も高校までやっていた野球にも手を広げることを画策する。そして、再びグーグルで「スポーツライター募集」と検索すると、再び馬場さんに奇跡が起こった。野球専門誌「野球太郎」でライターの募集があり、そして馬場さんが住んでいる滋賀県と大学時代に通った京都府の2府県を担当する記者に空きがあったのだ。迷わず即応募した馬場さんは、「野球太郎」での仕事も見事にゲットしたのだ。

馬場さんも担当執筆した月間陸上競技(2017年11月号)

馬場さんは現在、主に関西地区での中学、高校の陸上競技や、高校野球、独立リーグから関西大学野球まで幅広く取材し、「月間陸上競技」や「野球太郎」そして「12th Man」でも記事を配信している。「馬場さんはラッキーなだけだ」とおっしゃる方もいるかもしれないが、彼はスポーツライターになるために確かな行動を起こした。そして決断して、自分の道を切り開いたのだ。決して”幸運”という言葉だけで片付けられるものではない。

「大学スポーツでの記者経験が案外、スポーツ雑誌などでも評価してもらえる。現役の学生記者やライターになりたいと思っている人たちの中には自分よりも力のある人もたくさんいる。大きなチャンスはあるはずだ」と馬場さんは語る。「あと2、3年はフリーターもしながら食いつないで、スポーツライターとして頑張りたい」と力を込めた。

当サイト「12th Man」でも積極的にこれからも記事を配信していきたいと語る馬場さん。

「どういう風に記事を書けば人が興味を持ってくれるのか?これを真剣に考えるようになるきっかけは、12th Manだと思います。広い視野を持って、自分の感性を磨き続けることが出来ました。そういう意味で12th Manはライターとしての自分を鍛える場とも言えます。いろんな方々が見ているので下手なものは書けません。何か制限や縛りみたいなものがないので、自由に記事を書いていける。だから自分のテイストを思い切り出せる、冒険が出来るのが12th Manだと思います」

大学スポーツ新聞に携わる後輩たちには「私は自分の大学スポーツ新聞だけに留まってはいたくなかった。自分の名前を売る大きなチャンスと捉えてチャレンジして欲しい」とエールを送る。

自分の夢を実現させる方法は十人十色。スポーツライターを志した馬場さんは思い切った行動がその夢を実現させる第一歩になったことは言うまでもない。

私は彼の話を聞いて思い浮かんだ言葉がある。それはサントリーの創業者である鳥井信治郎氏が遺した言葉だ。

「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」

<スポーツライター・馬場遼さんからのメッセージ>

「12th Manに投稿するようになって色んな方から反響を頂き、自分の記事は多くの方に呼んで頂いているのだと実感することができました。記事を世の中に発信するということは皆さんが思っている以上に影響力があり、評価して頂けるということを学生記者生活で学びました。私がこうしてライターとして活動できているのも大学スポーツ新聞部での活動を認めて頂いたからだと思います。皆さんも自分のやっていることに自信を持って頑張ってほしいと思います」

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