問題は年越し


問題は年越し

久しぶりに、全国高等学校ラグビー選手権を最後の近鉄花園ラグビー場へ観戦に出かけた。はじめは、大会の余白部分について書こうと考え、そのつもりで写真も数点撮影した。しかし、知り合い、友達など、ラグビー関係者と意見交換を行うことで、コーチングについて書くことにする。

ジャパンラグビートップリーグチーム関係者が漏らすには、「最近の若いプレイヤーは、考えることがない。」というのだ。「少年期からなんでも、用意されている。練習メニュー、トレーニングメニューすべてだ。与えられたものをそのまま行うだけだから、考える余地がない」とコーチングについて憂慮していた。確かに、専門性が高度になり、プレイヤー自身がいちいち深く考えることは、相当な負担が別にかかってくる。しかし、理解し、考え、行動するのとは、大きくことなっているようだ。何でも上手くこなすことが出来るようだが、イレギュラーなことに関しては、思考が停止して、「どうすればいいんですか」とすぐに、答えを求めてくるようだ。「教えすぎることの弊害」が出ている。または、コーチのプレイヤーへの扱いが軍隊式の命令系統で、思考を停止させ、命令に従属する関係の世界で、一体何のためのスポーツかが分からなくなっている。

ラグビーは、刻々と変わる状況を判断して、的確に行動を変化させていかなければならず、立ち止まることなく休みなく考え続け行動することが、ますます重要になってきている。世界との戦いでは、よい勝負をすれども、勝ちきれない要因の一つだと考えている。逞しくないのだ!

10年以上も前に、そんな日本のコーチングの状況を少しでも改善したいと、ラグビーコーチングテキストを作成したことがある。志半ばで頓挫してしまっているが、当時、感じた問題は改善されず、長年持ち越されている。

2019年にラグビーワールドカップが日本で開催されるが、強化に費やす時間はもう限られている。もっといえば、ラグビーの醍醐味である、創造的なプレイ、考えて行動する状況判断能力、ラグビーでこそ培える精神性の成長を自ら崩壊させている。

コーチ時代、「十牛図」に出てくる「牧童と牛」の画を常に見えるところに置いていた。コーチとプレイヤーを牧童と牛に喩え「すさんだプレイヤーとコーチが一つになり、ラグビーの境地をいっしょに追求しよう」と考えていたが、環境はそれを許さず、邪な大人の事情により、引き離されてしまった。牧童と牛は、一緒にはなれなかった。牧童も、ラグビーの世界から去った。数年後、そのチームは、Aリーグから降格してしまった。プレイヤーをコーチの奴隷や虫けらのように扱ったつけを払う結果となった。

犠牲にあっているのはプレイヤーであり、問題は長年持ち越されているのが残念でならない。画をゆっくり観ていると、牛も牧童も優しく喜びに満ちているように見える。当時は、まったく気づかなかった。会場で、当時のプレイヤーに偶然会ったが、家族で仕合わせそうに観戦し、「社会人になって色々分かりました」と話してくれた。少しは一つになっていたのだろうと、救われた気分になった。
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