「部員ボイコット」の衝撃


先ほど、追手門大学アメリカンフットボール部の指導者と部員間との問題が世間を騒がせた。簡単に言えば、大学が特別指定クラブとして運動部の強化を図り、有名監督、コーチを招聘して強化にあたり、2部のチームを入れ替え戦までに強化し、これからというところで「コーチの、差別発言」があり、大学側はコーチを解任。強化することに反対の部員達のボイコットで監督は「私がいても仕方がない」と退任するというものである。詳しく、正確な情報は、得ることが難しいが、記事が出てから当初は「部員やる気ないやん〜」「今時の学生は〜」という印象をもたれた方もいたのではと予測できる。
しかし、この問題を、それぞれの立ち位置から見れば、違った視点で見ることができ、日本のスポーツ界の一端を垣間見れる。ここでは、なるべく学生の立場から考えてみたい。
大学側から見れば、「中核大学の生き残り戦略として、運動部強化における一体感の創出」ともっともであり、指導者からは、ひたすら強化し結果がすべてという重圧に打ち克ち、なにがなんでも結果を残さなければならない。となる。
で、等の学生視点で考えると。学生の気持ちなどは一切考慮されていない可能性がある。「強化するや有名指導者を招く」などは、恩着せがましく、そちらの思惑に翻弄され迷惑であろう。4年間という学生生活を楽しもうと考えていたのが、途中から過度な競争原理、1部に上がり、甲子園ボウルで勝つというだけではなく、大学の生き残り戦略を担うという重責を関係なく背負わされたのである。競技で成績を残すだけでも、何千時間もかけトレーニングを行い、身体的にも罵詈雑言に屈することのない精神的強さも要求され、勉学に打ち込む時間も阻害される。4年間しかいない大学の盛衰を担うなどたまったものではないだろう。
大学主導の強化に乗り出すと学生を自身の奴隷や虫けらのように取り扱う場面もある。同じチーム、共に高みを目指す仲間という意識が強ければ、信頼関係が芽生え乗り越えられるかもしれない。逆に、個は尊重されずやる気の火種は消し去られる。強化体制、指導方針が悪ければ、降格、衰退するのは当然である。多くの場合、弱い立場の学生達は、見捨てれてるか、大人の事情に翻弄されるかだろう。強化したり、強化しなかったり、一体なんなん!?「学生不在のスポーツやん!」となる。まあ、「グランドデザインがなく、パッチワークデザインやからな日本のスポーツは」、それはそれでデザイン的にはキレイかもしれない!?
指導者やチームをそう簡単に選べない、自身の適したレベルでのスポーツ活動が困難な日本のスポーツ文化の弊害ともいえる。今回、当事者である学生を簡単に批判することは出来ない。

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